年収をあげるために平社員から課長へ。理想の上司像は組織をダメにする致命的なバグだった

「年収を上げるには、管理職になるしかない」

エンジニアとしてキャリアを積んでいくと、必ず一度はこの壁にぶつかります。私もそうでした。家族を守るため、大黒柱として収入を得るため、そして勤務先の人事制度の都合から、マネジメントへの昇進は「避けては通れない関門」だと思い込んでいました。

また収入を増やさなければならないと思うきっかけになったのは、夫の休職。その当時、私は3歳の娘を抱えて時短勤務をしていた平社員で、自分のことで精一杯。

そんな中、働き方を大きく変えて管理職を目指し、当時31歳でついに手に入れた課長のポジション。しかし、課長へ昇進してからの6ヶ月間は、私の人生のなかでも上手くいかなくて苦しんだ6ヶ月でした。

今回は、私が管理職として挫折し、何を失ったのか。そして、現場で優秀なエンジニアほど陥りやすい「マネジメントのバグ」についてお話しします。


1. 念願の「課長」昇進。待っていたのはリソースの枯渇

平社員から管理職を目指すと決めた時は、順調でした。上司に自ら「管理職を目指したい」と宣言し、上司にも認められて徐々に年収が増えていきました。

昇進が決まった当初は、自分の能力が認められた高揚感がありました。しかし、蓋を開けてみれば、そこにあったのは「プレイングマネージャー」という名の過酷な現実でした。

私のいたWEB部門は少人数で、バックエンドの設計・実装ができる人間が限られていました。管理職になったからといって、開発の第一線から退けるわけではありません。

私の毎日は、次のような過酷なリソース不足に陥りました。

  • 08:00〜18:00: 延々と続く会議、進捗管理、部下のプロダクトの調整、数値管理。「マネジメント」という名の割り込み処理で、1日が終わります。
  • 18:00〜深夜24:00: 会議が終わり、ようやく自分の担当分のコードを書く時間。

CPU(自分の時間)もメモリ(精神的余裕)も増設されないまま、新しい管理業務だけが強制実行される。
私は、常に使用率120%で、いつ強制終了してもおかしくない危険な状態でした。


2. 良かれと思った「性善説システム」の崩壊

私は、自分が平社員時代に感じていた不満を解消しようと、理想のチーム作りを目指しました。その一つが、案件を希望者に割り当てる「挙手制」です。

「やりたい仕事をさせてもらえない」という同僚の不満を何度も聞いてきた私は、自発性を重んじればチームは活性化すると信じていました。しかし、現実は残酷でした。

——誰も、手を挙げない。

難易度の高いバックエンド開発、部下にとっては新しい技術習得が必須な案件たち。いざチャンスを解放しても、結局誰も動かない。挙句の果てには「バックエンドはやりたくない」「今のままでいい」という本音が透けて見えました。

「適材適所に文句を言っていたのは、向上心からではなく、単に楽をしたいだけだったのか」

この事実に気づいた時の絶望感は、どんなバグよりも深く私の心を削りました。
結局、誰も拾わないタスクや納期の短いリソース不足が目に見えている案件は、すべて課長である私の元に返ってきました。


3. 「自分がやったほうが早い」という致命的なパッチ

部下に無理をさせたくない。部下の希望を叶えてあげたい。
その一心で、私は「自分が手を動かして解決する」という選択を繰り返しました。

  • バックエンドの不具合? 私が直せばすぐだ。
  • 難しい設計? 私がやったほうが早い。
  • やりたい人がいない? 私の方でちゃっちゃと作ってしまおう。

これは組織運営において、最悪のアンチパターンでした。短期的な納期は守れても、部下は育たず、私自身がチーム最大の単一障害点へと変貌します。私が止まれば、チームの全機能が停止する。その恐怖と責任感が、さらに私を追い詰めました。

また、チームには数値という目標が振られています。課長である私は、チームの数値を追えばよく自分自身の数値を追う必要がない。私自身が数値を稼ぎ出し、部下に割り振るという、まるで部下をフォアグラに育て上げようとしているかのような状態でした。


4. 緊張の糸が切れた瞬間。そして背中を押してくれた友人

2022年の8月。80時間の残業が定常化している中で、「自分がなんとかやらなければ」という緊張感だけでなんとかやってこれていた私の糸がぷつりと途切れます。こちらの部署に無理難題をふっかけてきた他部署の課長が、無理難題を経て納品したプロダクトを何日も放置したのです。

自分と同じロール(課長)が何もやらないことに対し、自分自身の努力は何だったのか、とわからなくなりました。
何もしない人間が自分と同じ評価(役職)を得て、必死にリソースを回している人間が潰れる。
この『評価システムのバグ』は、個人の努力で直せるものではない。

結果として、仕事中に突然涙が止まらなくなり、PCの画面を認識することができなくなったのです。

ちょうどその時、学生時代の友人たちと会う機会がありました。毎年夏に旅行に行っている仲の良い友人たちですが、その旅行の最中だというのに、私は起き上がることができずずっと眠っていました。

夜になり体が少し動くようになり、やっとそこで友人と話すことができました。そして会社での状況をぽつりぽつりと伝えた結果、友人たちに「その職場、辞めた方が良い」と言われました。

その一言が、私の背中を押しました。

あ、やめよう。

私は旅行から帰宅した次の日、泣きながら上司に電話をしました。
「もう、これ以上は無理です」と。12年勤めた会社で、初めて上げた白旗でした。

5. まとめ:管理職挫折は「再起動」のためのステップ

私は管理職に向いていませんでした。
それは「スペック不足」の一面も大きくありましたが、それ以上に「仕様の不一致」だったのではないかと思います。

人という不確実な変数をコントロールするよりも、ロジック通りに動くシステムを構築する方が、私にとっては遥かに価値を発揮でき、かつ幸福を感じられることだったのです。

この挫折をした時は常に自分を責めていましたが、思い返すと大切な教訓をたくさん得ることができ、今に繋がっています。

  1. 年収アップの手段は「管理職」だけではない。
  2. 「優しさ」と「マネジメント」を履き違えてはいけない。
  3. 自分の強みが活きない場所で戦うのは、リソースの無駄遣いである。

私は、40日近い有給休暇の消化を経て、ある決断をします。
それは、「マネジメントを捨て、スペシャリストとして稼ごう」という、ハイクラス転職と副業への挑戦でした。


次回の記事について

実際にハイクラス転職を利用して転職活動を行いました。
次の記事では、ハイクラス転職でのエージェントの利用方法についてご紹介したいと思います。

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